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Infancia clandestina 偽名の少年

アルゼンチン映画 (2011)

テオ・グティエレス・モレノ(Teo Gutiérrez Moreno)が主人公を演じる軍事独裁体制下のアルゼンチンでの映画。反体制ゲリラ・モントネーロスの一員として偽造パスポートで帰国した一家の1ヶ月半を、一家の長男フアン(偽造身分証ではエルネスト)の目から描いたもの。少年の目を通して描いているため、父や母が何をしているのかは全く分からない。いわば、つんぼ桟敷の状態だ。本人も、名前も偽りなら誕生日も偽りという不安定な状況下で、学校生活を送らなくてはならない。反革命運動を描くにしては極めて異例だが、この映画の目的はそうした異常な状況下で揺れる少年の心を描くのが目的。というのも、この映画は1972年生まれの監督ベンハミン・アビラ(Benjamín Ávila)自身の実体験に基づいているからだ。フアンはベンハミンなのだ。フアンの制約された目で見た父母と一緒の生活は、ベンハミンの目に映ったものだ。だから、映画の半分は、反革命ではなく、学校での淡い恋に焦点が当てられている。偽りの人生の中での一途な恋。その悲しさが、父母を襲う悲劇と相まって、映画を辛く救いのないものにしている。唯一のハッピーエンドといえば、主人公が生き残り、成人してこの映画を製作できたことだけであろう。そして、政治体制の変わったアルゼンチン最高の映画祭で作品・監督・主演男女優・助演男女優など10部門を独占するなど世界中で21の賞に輝いたことであろう。

人道に対する罪で2010年に終身刑となり、2013年に死亡したアルゼンチンの第43代大統領ホルヘ・ラファエル・ビデラが、政権の座についていた6年間(1976-81)のうち、1979年7-11月にかけて実際に起きた話。反体制ゲリラ・モントネーロスの幹部だった父は、亡命中のキューバから、戦闘員である妻だけでなく、2人の子供を伴ってブエノスアイレスに拠点を移す。11歳の長男フアンは、キューバ訛りが出ないよう念を押された上で、エルネストという偽名で、地元の小学校に通い始める。そこでフアンは、新体操をしている可愛い少女マリアに一目惚れする。10月7日、偽造身分証に記載されていた生年月日のせいで、クラスでいきなり「誕生日おめでとう」と先生から言われびっくりするフアン。反革命運動が微妙な時期なのに、週末に家で開催された誕生パーティ。叔父は、フアンへのプレゼントとして、市内に住む祖母をこっそり連れてきてくれた。その危険を顧みない行為に怒りと喜びが交叉する父母。フアンは学校の1泊キャンプでマリアと親密度を深める。ところが、キャンプから帰宅すると、フアンに友達のように接してくれた叔父が、警察と交戦し手榴弾で自爆したことを知らされる。事態が緊迫度を増す中、フアンは両親に反抗するように、マリアと遊園地で楽しい1日を過ごす。ミラーハウスでの始めてのキスと、「永遠に一緒にいたい」。「約束できる?」。「神にかけて」の言葉。そして、意識の違いによる別れ。帰宅したフアンを待ち受けていたのは、連鎖的な悲劇。翌朝、父は警察との銃撃戦で死亡。母は家宅捜索に来た警察に射殺。フアンは捕らえられ、妹とは生き別れ。厳しい尋問の末に解放され、祖母の家の前に放り出される。

テオ・グティエレス・モレノは、撮影時は恐らく13歳程度。表情が乏しいのが欠点だ。映画自体アルゼンチン・アカデミー賞を10部門も独占したにもかかわらず、テオがノミネートされた「新人賞」は受賞を逃している。アルゼンチン映画批評家協会の「新人賞」も、アメリカのヤングアーティストアワードの「国際部門」でも、ノミネートに終わっている。台詞が極端に少ないことも影響しているかもしれないが、演技力の不足は否めない。


あらすじ

映画は、1975年のアルゼンチンから始まる。夜、車で帰宅した3人家族。父が、「フアン、起きろ、着いたぞ」と7歳の男の子を起こす。母が玄関のドアに鍵を差し込むが、なかなか開かない。そうしている間に、1台の車が急接近してくる。「クリスティーナ!」と叫ぶ父。父が銃を取り出すと同時に、車の窓からも銃が向けられる。母は、一緒にいた息子(1枚目の写真)を、つき飛ばして(2枚目の写真)、拳銃で応戦する。この映画では、戦闘シーンが漫画で表現されている。父は脚を撃たれ、車は逃走した。その後、解説が入る。「ペロン大統領の死後、自警団のグループが、社会運動家や革命派の迫害や殺害を始めた」「1976年、軍事クーデターが起きた。アルゼンチン史上 最も暴力的な抑圧が行われた」。冒頭の攻撃後、一家はキューバに脱出した。映画にそのシーンはないが、次の解説がそのことを示している。「キューバに追放された革命組織モントネーロスのリーダーは、反攻作戦を開始。何人かの戦闘員は、子供連れで帰国した」。舞台は4年後の1979年、キューバ。母がテープレコーダに向かって話している(3枚目の写真)。「坊や。こんなの テープにとってるなんておかしいわよね。でも、お陰でこうして聞けるでしょ。また会えるまで、何度でも。今日、みんなでアルゼンチンへの帰国の旅を始めるわよ。でも、別々のルートを通るの。しばらく お別れってことね」。父:「やあ、坊主。私たちは しばらく別れる。その間は すごく寂しい。だが、いいこともある。戻れるんだ」。「それは、闘うべき時がきたからなの。私たちは、別れて戻るのよ。あなたとヴィッキーは、カルメンとグレゴリオとね。彼らが両親よ。ブラジルを経由するの」。かくして、両親と2人の子供(2人目は、キューバ滞在中に生まれた妹)は、別ルートでアルゼンチンに向かう。そのくらい危険な潜入なのだ。
  
  
  

偽の両親と2人の子供は船で大きな川を下っている。船の中で母役の女性から、アルゼンチンに入国する時の心構えとして「もし、何か訊かれたら、『スペイン語は話せません』と言うのよ」と教えられる〔キューバ訛りが知られたら致命的〕。この川は、ブラジル南部からブエノスアイレスに向かって流れるパラナ川だと思われる。入国地点も不明だが、船に接続する専用バスが直接泥道に降りるので、内陸でブラジルとアルゼンチンとが国境を接するフォズ・ド・イグアスの可能性が高い。国境の検問所で順番を待つフアン(1枚目の写真)。役柄の上では11歳だ。待ちながら、フアンはかつて、「ゲバラが如何に上手く変装したか」を描いて、父から褒められたことを思い出す。漫画が面白いので3枚とも紹介しよう(2-4枚目の写真)。最初はキューバを離れる前のチェ・ゲバラ。左に「Che」と名前が書いてある。次が、コンゴを訪れた時の、ウルグアイのパスポートを持ったビジネスマンの姿。左に書いてあるのは、その時の仮名。3番目がボリビアに潜入した時の禿頭に眼鏡と帽子で変装した姿。仮名は右に書いてある。これを思い出してか、野球帽を被るフアン。アルゼンチンへの入国は、入管のスタンプから8月27日と分かる。一方、映画の最後に「亡き母に捧げる」と入り、その日付が同年10月13日なので、そして、この映画は監督の実体験の映画化なので、フアンのアルゼンチン滞在も1ヶ月半で悲劇を迎えることになる。
  
  
  
  

国境を通過し、バスはアルゼンチン側の町(恐らくプエルト・イグアス)に到着。フアンがバスを降りると、いつの間にか偽の両親は消え(1枚目の写真)、耳元でいきなり「元気か、坊主?」の声がする。ファンが慌てて振り向くと、そこには叔父さんがいた。「なんで、ここにいるの!?」と驚くフアン。「静かに。人目を惹きたくない」(2枚目の写真)。今度は、静かに「ここで 何してるん?」と訊く。「『何してるん』だと?。キューバ訛りなんか聞かれたら殺されるぞ! 昨日も会ったみたいに見せるんだ」。そう言うと、おもむろに用意した車に乗せる。「カルメンとグレゴリオは?」。「2人は行った。ここから俺が一緒だ。このワゴン、凄いだろ」。「いん。すごいや」〔宮崎弁を拝借した〕。「『いん』ってどういう意味だ? ちゃんと、『うん』と言うんだ」。途中で、軍の検問に会う(3枚目の写真)。「冷静にな。口はきくな。俺が話す」。無事検問を通過した後も、叔父の注意は続く。「迷わず言えるようになるまで、何度もくり返すんだ。お前はもうフアンじゃない。エルネストだ」。車はブエノスアイレスのムンロ地区にある自宅前に到着する。別ルートで入国を果たした父母が迎えに飛び出してくる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

翌朝起きたフアン。家の中に誰もいないので、中庭に出る。10月初めのブエノスアイレスの最低気温平均値は10度くらいなので、パジャマで外に出るのは肌寒い。作業小屋に入り、母にショールを掛けてもらう(1枚目の写真)。そこは、父親の表向きの仕事であるピーナッツ入りチョコレートの箱詰めなどをする場所。フアンは、父母と話していて、「ここにいるのは誰だ? カストロか?」と、キューバ訛りを注意される。しかし、7歳から11歳のキューバ生活で付いた癖は簡単には直らない。一家はコルドバ〔スペインではなくアルゼンチンの都市〕の出身ということになっているが、そこの方言を真似るのは到底無理なので、せめてブエノスアイレスの話し方に早く慣れるよう、「練習だ、坊主」と激励される。小屋の奥にはチョコレートのダンボールが山と積まれているが、実はそこは万一の場合に2人の子供を隠す場所になっている。ダンボールを押して秘密の通路への入り方をフアンに教える父(2枚目の写真)。
  
  

さっそく、その日、フアンは小学校に編入する。教室まで校長が同行し、生徒たちに紹介する(1枚目の写真)。1970年代なので、あるいは、軍事独裁政権下のせいなのか、生徒たちはおとなしく新入生を受け入れる。学校から帰ってきたフアンは、学校で掲揚されていた国旗が、自分の知っているものと違うので父に質問する(2枚目の写真)。アルゼンチンの国旗は空色、白、空色の横縞で、真ん中にインカの太陽がついている。しかし、フアンの見慣れた反体制派の旗は太陽がないのだ。国旗に太陽が配されたのは1818年からで、軍事政権とは何の関係もないのだが、父は、太陽のついた旗は戦争の旗だとフアンに教え込む。これが原因で、後日、フアンが学校で国旗掲揚を命じられた時、「できません」と拒否し、危うく怪しまれるところだった。父、叔父、母の3人の中では、幹部である父が一番独善的・戦闘的で、子供の教育には適していない。暗くなってからフアンが隠れて見ていると、家の中に、3人のシンパが目隠しされて入って来る(3枚目の写真)。目隠しを取って並んだ3人に、父は同志と呼びかけ、拳銃や弾丸を支給する。そして、叔父の音頭で「勝利の日まで。祖国万歳」と唱和する。
  
  
  

学校の体育館で、女子生徒が新体操の練習をしているのを、男子生徒が見ている。目を隠していたフアンが、「僕の番だ」と言って手をどける。「ダメだ」。「どうして?」。「見ちゃいけないんだ」。結局、無視して女の子たちを一緒に見るフアン。生徒たちは、自分の好みの女生徒が、どの子かを話し合っている。一時は付き合ってじゃれていたフアンだったが、一人の紺色のレオタードの少女に目を留めると、急に顔つきが真剣になる(1枚目の写真)。映画では、少女の演技が延々と紹介される(2枚目の写真)。その間、一度だけ映されるフアン(3枚目の写真)。彼は人生で初めて女の子に見惚れたのだ。
  
  
  

その後、フアンがその夜に見た夢が挿入される。彼は、すごくいいこと、悪いことがあると、それを夢に見る癖がある。映画を観ていても、最初はそれが夢だとは分かりにくい。フアンが学校の中庭に走り出て行くと、そこにはレオタードの少女がいて、何故か、便器もポツンと置いてある。女の子が便器を指差し、そこにフアンがおしっこをしていると、彼女が首筋にキスしてくれ、フアンは恍惚とした表情になる(1枚目の写真)。その瞬間、ベッドで目が覚めたフアン。しばらくは夢の想い出にひたるが、様子が変なことに気付く。慌てて布団をめくると、シーツはおねしょでべったりと濡れていた(2枚目の写真)
  
  

その日の午後、公園で、母子3人だけで至福の時を過ごすフアン。「ママ、学校のキャンプ旅行に行っていい?」。「いつ?」。「10月12日。一晩だけだよ」。「いいんじゃない」。嬉しそうなフアン(1枚目の写真)。何か言いたげなフアンに、母が「何なの? 他にもあるの?」と訊く。「幾つか訊きたいんだ。パパが、ママのこと好きだって、どうやって分かったの?」。母は、パーティで初めて会った時、一目惚れしたと話す。そして、最初は父がつれないそぶりをしたこと、口説くのに2ヶ月かかったと打ち明ける。それを聞いて嬉しそうなフアン。自分と彼女のことを重ね合わせていたのだ。母が急に尋ねる。「あなたはどうなの?」。「何が?」。「何を企んでるの?」。「何のこと?」。「打ち明けちゃいなさい」。「誰もいないよ? ただ知りたかっただけ。どんな感じがするか」。「誰か好きな子ができたのね?」。「違うよ」。口を割らせようと息子をくすぐる母(2枚目の写真)。そこには、監督の母への強い愛情が感じられる。映画の中で母子が楽しくふざけるのは、このシーンだけだ。
  
  

幸せなシーンの直後、場面は急に切迫する。ドアが開くと叔父が急いで入って来て、ドアに鍵を掛ける。心配した父が「どうした?」と訊くと、「ハメられた。ガリェゴの野郎だ!」。叔父は撃たれた足首を義姉〔フアンの母〕に見てもらいながら、状況を説明する。待ち合わせの場所に10分早く行くと、ガリェゴがワザと財布を落としたのを合図に、脇道にいた2人が銃撃を開始。叔父は逃げて地下鉄駅のトイレに隠れたのだ。薬莢の臭いを嗅ぎながら叔父の話を聞くフアン(1枚目の写真)。その時、パトカーのサイレンの音が聞こえる。緊迫する一家(2枚目の写真)。父は軽機関銃のようなものを取り出し、フアンはダンボールの山の中の隠れ場所に赤ん坊を連れて閉じ籠もる。幸い、パトカーは通り過ぎて行っただけだった。危険と隣り合わせのフアンの生活がよく分かる一コマだ。
  
  

翌日の学校の朝礼のシーン。フアンが思い切って少女に、「やあ」と言って近付いて行き、「昨日の演技見たよ」と話しかける。「そう?」。「とても上手かったね」(1枚目の写真)。「ありがとう」(2枚目の写真)。周りでは、女の子が笑っているが、フアンは気にせず、「僕、エルネスト」と堂々と自己紹介する。「知ってるわ」。「マリアよ」。「知ってる」。こうして、最初のアタックは成功。この後、先に述べた国旗の掲揚シーンがある。掲揚係りを「遠慮」したフアンに、他の生徒が「腑抜け。お前の故郷じゃ、愛国主義を教わらなかったのか」とけなしたことから、喧嘩が始まる。校長室に呼ばれた2人と叔父。「私には理解できませんね。国旗を掲揚したくないって喧嘩するなんて」と話しかける校長に対し、叔父は、「初めてだったからです。エルネストはとても遠慮がちで、人前が嫌いなんです」と、疑われないようとりなす。昨夜撃たれても普通に歩いているので、かすり傷だったのだろう。叔父は2人の当事者に仲直りの握手をさせ、事態の収拾に成功する。学校からフアンを連れ帰る途中、叔父は「学校の旗のどこが悪いんだ?」と尋ねる。「太陽だよ」。「それがどうした?」。「太陽があるのは戦争の旗だ」。これは、父のクソ真面目な入れ知恵を誤解したものだと察した叔父は、「国中の学校で、あの旗を使ってる」と話すが、フアンは「だけど、戦争の旗を使うべきじゃないよ」と答える。一度教え込まれたことは簡単には変えられない。そこで、叔父は「お前がどうこう言っても変わらない。そんなことで争そうのは馬鹿げてる」と言い、「学校でのお前の名前は?」と訊く。「エルネスト」。学校では、フアンでなく、エルネストとして行動しろという教えだ。こうしてフアンは自分の間違いを悟り、最後には、「その通りです、大佐」と冗談で敬礼して笑いかける(3枚目の写真)。ここで、映画の間違いを指摘。1979年10月7日は日曜日。だから、学校は休みのはずだ。
  
  
  

学校の授業中、先生がいきなり、「じゃあ声を合わせて」と言うと、全員が『ハッピーバースデー・トゥー・ユー』を歌い始める。日本でも普通に歌われる曲だ。最初は、何のことか分からず、一緒に歌っていたフアンだったが、「ハッピーバースデー、ディア、エルネスト」まできて、きょとんとする。自分の誕生日は知っているが、エルネストとしての誕生日が「今日」だとは思ってもいなかったのだ。バレないよう、無理やり笑顔を作るフアン(1枚目の写真)。帰宅したフアンは急いで引き出しを開け、自分の身分証を確認する。何事かと寄ってきた母に、「今日、僕の誕生日だ」と身分証を渡す。「ほんと、10月7日ね」。「学校で何か言われたの?」。「言われた? ハッピーバースデーを歌われてたんだよ。だから、土曜にパーティを」(2枚目の写真)。「パーティって、どういうこと?」。「全員が歌ったんだ。先生もだよ。『パーティはいつ?』って何度も訊くから、言ったんだ」。「何を?」。「パーティは土曜だって」。「何か、他のことは言えなかったの?」。これは、母親としてはあまりにも酷で無責任な言い方だ。そもそも、身分証の偽造時に、子供なのだから、誕生日くらい一致させておけば、こんな不意打ちに遭わずに済んだであろう。それに、誕生日の不一致に注意を払うべきは偽名で連れて来た親の責任で、予め誕生日が今日だと認識していれば、対処法も教えておけたはずだ。叔父は、おおらかな人間なので、「パーティをやろう。いいじゃないか。たかがパーティだ」と言ってくれる。フアン:「プレゼントは要らないから」。母:「そんなことは、問題じゃない。今は、パーティなんて状況じゃないの」。叔父:「心配するなよ、義姉さん。俺がピニャータを作るから」。ピニャータとは、子供の誕生日に使うお菓子入り飾りのこと。
  
  

パーティの開催が決まり、マリアの家に行くフアン。玄関をノックして出てきたマリアに、「今日は僕の誕生日なんだ」。「聞いてるわ」。そこには、フアンと同じクラスの男の子もいる。よりによってマリアの兄なのだ。そして、彼は交際を快く思っていない。しかし、フアンは、ものおじせず話す。「僕は、パーティの確認に来たんだ」。「教室で言ったじゃないか」。「彼女を招待に来たんだ」。「彼女? 何のために? 行かないと言ってたぞ」。マリア:「そんなことないわ」。「赤ん坊のパーティだって言ったろ?」。マリアは、兄は無視し、フアンに好意的だった。「友達を連れてっていい?」と訊き、「もちろん」とフアンが答えると、「招待、ありがとう」と言ってくれたのだ。大喜びで、家に向かって走るフアン(1枚目の写真)。パーティの日、叔父がワゴンを乗り付け、出てきたフアンに向かって「サプライズだぞ」と話しかける。ワゴンの後部扉を開けると、そこにはチョコレートのダンボールが隙間なく詰め込まれている。そして、箱の列を押して横に動かすと、そこから現れたのは目隠しされた祖母だった。目隠しを外された祖母は、孫のフアンを抱き締める(2枚目の写真)。この叔父さん、実に粋だ。「大きくなったわね、坊や」。キューバに亡命している期間は会っていないので、少なくても4年ぶりの再会だ。赤ん坊の妹とは もちろん初対面。こんな計らいにも、真面目一方の父は、弟と2人だけになると、「バカ野郎。なんでアマリアを連れて来た? 狂ったか?」と噛み付く。「落ち着けよ。十分警戒したからさ」。「警戒など、関係ない。我々の安全規範を無視したんだぞ!」。2人の性格の違いがよく出ている。フアンの視点から描かれた映画になぜ2人だけのシーンがあるのか? それは、フアンが小屋の外で姿を隠して聞いていたからだ。フアンは次第に姿を見せ、それに気付いた父が、「そこで何してる。中に入ってちゃんと聞け」と言う。フアン:「何を争ってるの?」。叔父:「お前のパパが、どうしようもないからさ」。父:「お前の叔父さんが軽率だからだ」。それから、2人の口論は延々と続く(3枚目の写真)。
  
  
  

夜、開催された誕生パーティ。盛り上げたのは、やはりユーモラスな叔父さん。みんなの前で「腰の動きを見てろ」と踊ってみせると(1枚目の写真)、「何をじっとしてる」と言い、フアンに、「同志エルネスト、このパーティをキックオフしてくれたまえ」と呼びかける。フアンが立ち上がると、「素敵なご婦人方から1人選ぶのは 大変なことだぞ。幸運な1人は、誰かな?」と誰かを選ぶよう促す。フアンが選んだのは当然マリア。叔父は、残った子供たちも、「全員が相手をみつけないと」と、次々と結びつけていく。そして、「夜は 愛をささやき、カップルを生み出す」と全員を鼓舞する。にぎやかなラテン系の踊りの後は、カップル同士の静かなダンス。見詰め合って踊るフアンとマリア(2枚目の写真)。パーティが終わってから、家族だけで、祖母を挟んで楽しげに始まった会話は、すぐに険悪なものへと変化していった。きっかけは、祖母の「なぜ、今戻って来たの」という一言。すぐに母が、「黒人のばあやは?」と訊き返す。祖母:「その話はしたくないわ」。母:「でしょ。話したくないことはあるの。事をややこしくしないで」。しかし、祖母は、安全のため、せめて子供たちだけでも預かりたいと言い出すが、母は「気が変なんじゃない? 私の子供なのよ!」。「私の孫なのよ!」。ここから論戦は泥沼へ。しかし、結果論から見れば、祖母の申し出はごく常識的で、母の拒否は、子供の安全を考えない、独りよがりなものだった。恐らく、夫婦にとって、「子供連れ」という家族形態が、反革命分子と見られないための防御策だったのであろうが、これでは「人間の盾」ならぬ「子供の盾」だ。寝室に行くよう命じられたフアンだが、壁の陰に隠れて論争を聞いている(3枚目の写真)。結局、深夜にもかかわらず、祖母は即刻家に戻されることになった。
  
  
  

フアンが、叔父の前で、学校のキャンプの用意をしている。「どのくらいだ?」。「2日だけ」。「あの可愛い子も行くのか?」。「もちろん」。フアンの目が輝く。叔父は、そんな甥にチョコレートを使った秘策を教える。そして、いよいよ森の中でのキャンプ。2日目の朝、コロンブスの到着と、インディオの歓迎を描いた劇を生徒たちでしている最中、フアンとマリアは抜け出した。森の中を歩いて行くと、ボロボロになった乗用車が捨ててある。その上に乗って、飛び跳ねて遊ぶ2人(1枚目の写真)。その後で、2人一緒に車の屋根に腰掛けると、フアンは昨夜叔父に教わった戦術を開始する。しかし、「食べる?」とチェコを見せると、「ありがとう。嫌いなの」と断られ、予定が狂ってしまう。マリアは、「よく、兄さんと友達でいられるわね。あんな無神経」。「何か問題なの?」。「さあ、でも あなたとは違う。あなたは、もっと…」。「もっと、何?」。ここで、フアンが手に持っていたチョコが廃車の中に落ち、思わず「la puta」と言ってしまう。「下品な言葉ね」。幸い、それ以上追求されず、「どこに行きたいか知ってる?」と訊かれる。「どこ?」。「ブラジル。行ったことある?」。「ううん」〔ブラジルから入国したのを隠すよう、両親から命じられているのか?〕。「ビーチがとってもきれいで、砂が柔らかくて粉みたいですって。そこに行くのが私の夢」。「じゃあ、行こう」と言って、廃車の中に入り、運転の真似をするフアン。マリアも乗っているフリをする。とても仲がいい。そして、2人の顔が近付いていき、キスか(2枚目の写真)と思った時、カメラのストロボが光る(3枚目の写真)。級友が2人を見つけて写真を撮ったのだ。追いかけるマリア。がっかりして車に残るフアン。帰りのバスの中でも、同じ座席で仲良く一緒の2人(4枚目の写真)。ポラロイドの写真は悪用されることなく、「やるよ、キジバト夫婦」と言って渡してもらえた。この写真は、映画の最後まで何度も登場する。
  
  
  
  

バスを降りたフアンを母が迎えに来ている。そして乗用車へと連れて行く。初めて見る車だ。フアンが父に「どうしたの?」と尋ねと、「安全上の問題で、数日家を離れる」という答え。「なぜ? 何が起きたの?」。叔父さんが死亡したのだ。フアンは、「何が起きたの?」「ほんとのことが知りたい」と頼み、父からすべてを聞かされる(1枚目の写真)。事件は、都心でワゴンを使ってチョコレートを配達中に起こった。父はワゴンに戻ろうとして、1人の警官の前で、ワゴンに向かって両手を上げている叔父の姿を見る。何かに気付いた警官が興奮して叫び出すと、突然大勢の警官が現れた。叔父は、「生きたまま捕まるもんか」と叫ぶと、手榴弾のピンを抜き、警官をワゴンの中に押し込んで、そのまま自爆した。淡々とした話し方に反発したフアンは、「生きてて欲しかったよ。叔父さんを何だと思ってるの?」と言って席を立つ。寝室に入ってきた父は、「私達は数日姿を消す。用心のためだ。私も寂しいんだ。彼のことは忘れない」と声をかける。そして、フアンの夢が始まる。夢の中で、叔父は、「こいつらくらい、やっつけられる」と言い、「生きたまま捕まるもんか」と叫ぶと、父の話通りに粉々になって吹き飛んだ。その場に居合わせたような辛い夢だ(2枚目の写真)。
  
  

フアンは、マリアに会いたくなって電話をかける。運よく電話に出たのはマリアだった。マリアは「おじいちゃん、残念だったわね」と言うが、これは叔父の死がバレるとマズイので、母が学校へ虚偽の報告をしたためか? フアンは、「これから、お互いがもっと好きになれる場所に、行こうよ」と誘う。「学校はどうするの?」。「休むんだ。1日くらい行かなくても、何も起きないさ」。ここで、電話をかけているのが母に見つかり、ひどく叱られる。「誰なの? 誰と話してたの? 答えなさい」。「マリア」。「そのマリアって誰なの?」。「ガールフレンド」。叔父と違い、母の息子に対する無関心さがよく分かる。「何て子なの。ガールフレンドなんて、下らない」。父も「今、電話を使うことが、どれほど危険か分からんのか?」と叱る。「知ってる」。「なら、なぜバカをする?」。母:「もう学校には戻れないのよ。終わったの」。父:「坊主、ママを手伝って荷造りしろ。つべこべ言うんじゃない」。こう一方的に命令されると誰でも頭にくる。フアンは自分の荷物を作り、隠し場所に置いてある現金から かなりの額を盗んで家出する。マリアの家の前で待ち、マリアが家から出て来ると抱き合う。そして、2人でバスに乗って出かける。向かった先は遊園地。そこで、色々な遊具に乗って遊び(1枚目の写真)、最後に行き着いたのがミラーハウス。誰もいない鏡の間で、初めて口付けを交わす2人(2枚目の写真)。フアン:「永遠に一緒にいたい」。マリア:「約束できる?」。「神にかけて」。いいムードに安心したフアンは、「驚かすことがある。僕、お金を持ってきた。一杯だよ」と打ち明ける。「それで?」。「僕たち一緒にいられる。永遠にだよ」。「今も、一緒じゃない」。「そうだけど、君の望む所に行けるんだ」。「行くの? 今から?」。「ブラジルに行こう」。「ブラジル? 無理よ」。「行きたくないの?」。フアンは、持って来たお金を見せ、「これで、ブラジルへ行ける。そこで仕事を見つけるから、何でもできるよ」。しかし、マリアの反応は予想外だった。ブラジルの砂浜に行くのが夢と言ったのは、単なる憧れに過ぎず、いざそれが実現可能になると、「家族と別れたくない。あなたはどうなの?」。「僕も好きだよ。でも、君と一緒にいたい」。その言葉を聞いて怖くなり、何も言わずに去って行くマリア。その姿を呆然と見送るフアン(3枚目の写真)。フアンは、叱られるのを覚悟の上で、悄然と家に戻る。
  
  
  

帰ってきた息子を黙って受け入れる父。眠れない夜を明かすと、早朝、まだ暗いうちに父が車で出かけていくのが見える(1枚目の写真)。それが、父を見る最後になろうとは… TVをつけながら妹に食事を与えていると、アルゼンチンのサッカーチームの話から、急に、「今朝、早朝、ムンロ地区で破壊分子との戦闘がありました。警官が不審な車両を停止させようとしたところ、犯人らは命令に従わず、銃撃戦となりました。軍隊は6年にわたり指名手配されていたモントネーロスの幹部オラシオ・カルナバーレを射殺しました」と速報を流す。画面に出される父の顔を見て、立ち尽くすフアン(2枚目の写真)。
  
  

それを見たフアンは、妹を連れてダンボールの中の隠れ場所に身を潜める(1枚目の写真)。やがて眠ってしまい、見たのは、生徒たちに囲まれて横たわる遺体(2枚目の写真)。生徒たちが、周りで手を叩いている。遺体に近付いて行くと顔の部分がTVになっていて、最初は父の顔が映り、それが切り替わって自分の顔になる。まさに悪夢だ。その時、「フアン!」と叫ぶ声が聞こえる。起きるとそこに母がいた。そして、フアンを抱き締めると、「死んじゃった」と言い、泣き崩れる(3枚目の写真)。母は、身の回りのすべての書類を焼く。フアンの子供時代の写真もすべて焼かれてしまう。
  
  
  

母が「フアン、隠れて!」と叫びながら飛び込んでくる。再び、2人で身を隠す。外からは銃撃戦の音が聞こえ、爆音が響き渡る。小屋の中に誰かが侵入した音が聞こえる。その時、赤ん坊が泣き出し、居場所が知られてしまう。隠れ場所の鍵がこじ開けられてからは漫画となり、フアンは銃を突きつけられて連行される。そして、暗い取調べ室で、「お前の名前は?」の問いに、執拗に「エルネスト・エストラーダ」と答え続ける姿が映される(2枚目の写真)。最後までエルネストを貫き通すが、係官も、すでに面は割れていて確認するまでもないので、解放される。没収品置き場から服を何着か選ぶことが許されるが、その中に、マリアが一緒に映ったポラロイドの写真もあった。少年時代の唯一の想い出の品だ。そのまま車に乗せられ、とある場所まで連れて来られる。「ここは、お前の祖母の家か?」。フアンは知らないので「知らない」と答える。「お前の祖母の名前は? アマリアか?」。初めて頷くフアン。「じゃあ、降りろ」。車はフアンを放置して去って行った。玄関まで歩いて行きノックするフアン。中から「どなた?」と祖母の声が聞こえる。「フアンだよ」(3枚目の写真)。この言葉と同時に映画は終わる。クレジットがすべて終わった後で、「永遠に一緒にいたい」。「約束できる?」。「神にかけて」の言葉だけが聞こえる。
  
  
  

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